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額田歴史の散歩道(額田城跡保存会員)

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額田歴史の散歩道は額田の歴史的名所の紹介と散歩しながら、名所へ容易に訪ねられるように工夫した地図で示したフルカラーの写真集的歴史本です。 額田歴史めぐり(額田の散歩道) 那珂市の観光ガイドが作成され、額田の歴史史跡めぐりも記されております。それに準じて、わが郷土を見つめ直し、『額田歴史の散歩道』を作成いたしました。額田をとりまく近隣の名跡も足を伸ばして見ましょう。徒歩またはサイクリングで実際に見て、歴史認識を同じにしてみませんか。挿絵 額田城想定図(画家中島省三氏) 購入価格2,000円 那珂市額田北郷 小田部一彦へ  09024128305  額田城はこれから。ボランティアの手から何とか行政の手に 。整備され見物客がどんどん来るようにと頑張っています。『額田城跡保存会』
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額田歴史の散歩道(額田城跡保存会員)
佐竹氏 小野崎氏の額田城 中世のお城に注目!! 『額田城跡保存会』 額田城は、建長年間(1249~1256)佐竹氏5代義重の次男義直が、この地に築城したことにはじまる。義直は額田氏を称した。10代義亮の時、佐竹宗家と対立し、応永30年(1423)佐竹13代義人に攻められ落城、額田氏は亡ぶ。その後佐竹義人の家臣小野崎氏が城主となり、以後七代照通までつづいたが1588年の神生の乱に端を発し、天正19年(1591)佐竹20代義宣に、照通に異心ありとし、攻められ落城した。照通は伊達氏を頼り、陸奥へ亡命し以後廃城となった。城の歴史は17代約340年間つづいた。当初の額田氏(佐竹氏)は100年続いた佐竹氏内部での争いである「佐竹の乱(山入一揆)」において山入氏側でした。佐竹義人は関東管領上杉氏の血族であり、娘婿とはいえ、佐竹氏の血統ではないので反発があり、額田氏も佐竹氏の血を引くものとして山入氏側についたのだという。山入与義、額田義亮らは室町幕府と結びついて、後に関東公方足利持氏、佐竹宗家に反発、応永二十八(1421)年には額田城に立て籠もり、佐竹義憲はこれを攻撃、応永二十九(1422)年十一月、持氏は二階堂信濃守、宍戸備前守らを援軍として送り、佐竹義憲も鳥名木国義、烟田軒幹動員して総攻撃をかけたため、翌応永三十(1423)年三月三十一日に額田城は落城して額田義亮も討たれ、佐竹氏系額田氏は滅亡した。当時勢いがあった鎌倉公方の後ろ立てもあり義人は額田氏を滅ぼすことができたのでしょう。しかし内乱は収まらず、額田城を継いだ小野崎氏も佐竹義舜の代に佐竹氏の領分を侵犯しています。最後の当主照通は江戸氏の家系です。水戸城主江戸氏は江戸忠通・重通というように「通」の字を代々引き継いでいます。額田小野崎氏を継いだ照通は名前の上でも、佐竹氏系としての立場から抜け出していました。分類でいくと額田城は江戸氏一族に分類されます。ただ、細かく言えば佐竹系額田氏の時代、小野崎系額田氏の時代、江戸系額田氏と分けるのが妥当か。

額田歴史の散歩道(額田城跡保存会員)

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